charles262510’s blog

主に野球。時々SMAP及びTEAM SHACHI。ごく稀にその他の事。

「あの頃」の未来

新幹線に乗っている。旅行の時の新幹線はすごく便利だ。二時間ちょっとで東京ー新大阪を移動できる。胸焼けするほどに甘いポップコーンを食べながら好きな音楽を聴くだけで目的地にたどり着く楽しみを感じている。

 

ただこれが仕事だとどうなのだろう。隣のサラリーマン風おじさんは駅弁を食べてビールを飲んだかと思うと鼾をかいて爆睡してしまった。出張帰りだろうか。そりゃあ大変だよなぁとしか思えない。僕が乗っているのは東海道新幹線の終電である。指定席は既に完売している。これから家に帰るとするとどんなに時間を小さく見積もっても日付は優に超えるだろう。働くのは大変だ。

 

そんなことを思っていたらふと思い出したことがある。あの時のプロ野球選手達も大変だったんだろうな、と。

 

あの時ーー2004年9月17日。プロ野球選手会が史上初のストライキを決めた日だ。

事の発端はオリックスブルーウェーブ大阪近鉄バファローズの合併が発表された事である。プロ野球は当時12球団あったが、赤字続きで採算が取れない球団も多かった。この発表の後連鎖反応的に売却を検討する球団が出てきて、当時の球界のドン的存在であった某球団オーナーが「10球団1リーグ制」案をぶち上げたのである。これには12球団の選手達、ファンが猛反発をした。そして、その意を受けプロ野球選手達の労働組合日本プロ野球選手会が普段は敵対する球団同士なれど団結をし経営陣と団体交渉を行なった。その時各球団の選手会長は大変だったらしい。当然である。交渉をしていた時期は8月から9月である。当時クライマックスシリーズもなかった

プロ野球にとって、まさにシーズンの佳境である。そんな野球に集中したい時期に合併問題での交渉ごとまで考えないといけないのだ。そりゃキツイだろう。

しかも経営陣からはストライキをしたことによる損害賠償請求を仄めかされ、当時首位を独走していた中日の井端はオーナー陣から「ストをしたら試合が行えないので優勝が認定できなくなるかも」と露骨な圧力を受けたらしい。(その時に当時の監督落合が「優勝なんかよりも大切なものがある。思い切りやってこい」と言って井端を送り出したらしい。カッケェ。)

そういう状況で彼らは交渉が行われる都内に行くために新幹線に乗ったのだ。どのような気持ちだっただろう。野球の疲れだけでなく、野球以外の、しかも選手達には全く非がないにもかかわらず心労を負うのである。

ストライキが決まった夜、テレビに生出演していた当時選手会会長であった古田敦也はファンの彼らに対する体を気遣う声に涙をしていた。そこまで追い詰められていたのだ。

世論は圧倒的に彼らを支持していた。

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そしてストライキによって経営陣は折れて新規球団の参入、2リーグ制の維持を認めたのだ。選手達が経営陣に勝った瞬間である。

そして2005年、東北楽天ゴールデンイーグルスが産声を上げた。

NHKのアナウンサーから「今日のその時」に認定されそうな瞬間である。

来年、2019年ストライキ突入から15年が経つ。2004年のストライキを知っている現役選手はどんどん少なくなっているが、ストライキ以降のプロ野球はどんどん魅力的なコンテンツになっている。ファンサービスや球場の内部充実が図られ「だれか」のではなく、「みんな」のプロ野球になりつつある。2004年の「あの頃」の選手たちに2018年という「未来」のプロ野球を見させることができたら、きっと喜ぶのではないだろうか。

「あの頃」あれだけ苦労して良かった。報われた。そう思っていてほしい。

 

 

新幹線がもうすぐ東京に着く。隣の席の鼾をかいていたおじさんは爪楊枝で歯の掃除を始めた。どんなに辛くて疲れてもいつか、「あの頃」の未来に立った時に苦労して良かったと思える人生を送りたいなあと思った。