charles262510’s blog

主に野球。時々SMAP及びTEAM SHACHI。ごく稀にその他の事。

それでも歩いてきたこの道

「お前ヤベェぞ」

ある時に友人から言われた言葉である。(まぁ僕の場合いつもヤベェとは言われている気がするのだが…)たしかにあの時の僕はヤベェ状態だったのかもしれない。

 

人生で一番苦しかった時というと大げさな表現だが、浪人生活というのはなかなかに辛いものだった。「いや、それはお前が3年間何も勉強してなかったからだろ」と思ったそこのあなた。その通りです。でもその言葉は一旦飲み込んだ上で僕の話も聞いてほしい。

たしかに僕は全く勉強をしなかった。しかし、だからこそ最初のセンター試験で手も足も出ない感覚を味わい、絶望に打ちひしがれたのだ。

「俺は浪人に見合っただけの大学に行けるのか…?」そんな思いを抱えつつ、華やかな大学生の横を素通りして地味な服装で予備校に通っていた。

 

そんな思いは1年間ずっと心の中にあってそれがついに爆発した。2度目のセンター試験直後のことである。

爆発とは言っても巷でよく聞くような毎日涙を流したり吐き気に襲われたりという事があったわけではない。

ふつうに予備校に通って友人と談笑はしてたし、ちゃんと受けるべき授業は受けていた。

ただ、何をするにも無気力となってしまったのだ。親に作って貰った三食はきちんと食べていたけど、まぁ味はしない。生きるために口を動かすと言った感じ。

間食の時も同様だ。食べたいものを何も考えずに食べる。そんな状態だった。だから食べ合わせとかは何も気にしていなかった。そして、友達から冒頭の「お前ヤベェぞ」のセリフを頂いたのである。

その時の僕が食べていたのはファミマの「タコワサ」飲んでいたのはホットの「ヴァンホーテンココア」というロナウジーニョもびっくりしそうなトリッキーな食べ合わせであった。

ところが僕は友達のその指摘を受けても「ヤバイのは人の食べ合わせを指摘するお前だよ」ぐらいにしか思っていなかった。…ゴメンナサイ。

 

そんな、メンタルブレイクをした浪人生活は嫌なことばかりではなかったけどやっぱり良いもんだとも思えないものであった。

 

そういう経験をしているからこそ、日本中を敵に回してでも浪人を選んだあの男は凄いと思う。

菅野智之の事である。

事の発端は2011年秋のドラフト会議である。当時大学球界No. 1右腕であった彼は伯父が原辰徳ということもあり、巨人を志望していた。当然巨人も指名を公言しており、相思相愛かに思われた。

しかし、これに待ったをかけたのが北海道日本ハムファイターズである。

日ハムも菅野を1位指名し、そして日ハムが交渉権を獲得した。

菅野は日ハムの交渉を断り、1年間の浪人生活をすることを発表した。この時まぁー、世の中は菅野、巨人を叩いた。やれ「密約」だの「わがまま」だなといったことである。ついでに強行指名をした日ハムを叩く向きもあった。(この問題はまた別の話になってするので気が向いたらまた書きます。)

 

そんなわけで世論の大部分を敵に回して菅野の浪人生活は始まった。

このブログを読む人は相当な野球ファンだと思うが万が一野球を知らない人が間違ってここまで読んだくださった時のために野球選手の浪人生活の説明をしておくと、まず公式戦に出場する事ができない。よって許されるのは所属チームの練習及び紅白戦である。とはいえ、もう新しいチームがスタートしているので、卒業したOBにそこまで構っている暇はない。また、同期と比べて1年の遅れが生じる。頭脳労働と違い、野球の様な肉体労働で一年を棒にふるというのは多分なリスクがある。

その上さらに世の中の殆どが敵の状態である。並大抵の神経では持たないだろう。

 

結局一年後に菅野は巨人に入団したわけであるが、彼に対するバッシングはプロに入ったからといって止むわけではない。特に2013年日本シリーズここまでシーズンを通して負けがなかった田中将大に土をつけてからさらに嫌う人も増えた気がする。そんなこんなで2013〜2016までは相当数菅野を嫌う人間もいた。

潮目が変わったのは2017年のWBCである。日本代表の柱として腕を振り抜く姿に日本の野球好きは胸を躍らせた。(まぁ代表になったから好きになるというのも現金な話だとは思うのだが。)

そしてその年、菅野は沢村賞を筆頭に数々のタイトルを受賞した。誰もが2017の菅野の成績がキャリアハイになるだろうと思ったはずだ。

 

しかし、菅野はそれで満足をしなかった。彼は2018年新たに「シンカー」を習得して投球の幅を広げ用と試みたのだ。これには賛否あったが、飽くなき向上心に僕は尊敬を通り越して畏敬の念を抱いた。

 

ただ、このシンカー習得は結果からみれば失敗だったと言えるだろう。3、4月の菅野は明らかに精彩を欠いておりそれがシンカーに由来するものなのは明らかであった。

そしてシンカーを封印した途端彼のピッチングは間違えた。僕も実際9/28に菅野のピッチングを生で観たのだが、あれは凄いとしか言いようのないピッチングをしていた。

そんな菅野が今シーズン獲得したタイトルは最優秀防御率最多勝最多奪三振ベストナイン、月間MVP、最優秀バッテリー特別賞、ゴールデングラブ賞と、沢村賞である。いつぞやの改変された剛力彩芽ウィキペディアかよってレベルのタイトル獲得数だ。さらにはCS史上初のノーヒットノーランも達成した。

特に、2年連続は厳しくなると言われていた沢村賞ですら要求される基準7つ全てをクリアして文句なしの受賞をした点は大いに評価されるべきである。80年以上続くプロ野球史の中でも5人しかいないのだ。

 

そして、迎えた今オフの契約更改、彼は6億5000万円のプロ野球歴代最高タイで契約を更改した。

もはやそれにケチをつける野球ファンは誰もいない。むしろもっと払ってもいいのではという意見すら散見される。

 

そのニュースを聞いた時、ふと思ったのだ。もし彼が浪人をせずに日ハムに行ったらどうなっていたのだろうと。

「人生は選択の連続」これは僕の好きなゲーム実況者が行った台詞であるがあの時の菅野はまさしく大きな選択をしなければならない状況だったはずだ。

菅野だったら日ハムに行っていたとしても「良いピッチャー」にはなれていたはずだ。しかし、世の中を敵に回してでも彼は1年浪人をすることを決めた。

「今思うと、良い時間だった。当時は、目標がなくてとても苦しかったけれど、自分で覚悟を持って挑んだ1年間だった。」(

浪人した時を振り返ってのコメントである。言葉の重みがすごい。

その結果彼は「良いピッチャー」などという生半可な言葉で片付けることができない平成を代表する投手へと成長をしたのだ。

浪人をしたとしても、「覚悟」を決めればその後飛躍することができる。

当たり前の様でなかなか出来ないことを菅野はやってのけたのだ。

言うは易く行うは難しという諺がある様にこれを出来る人間は少ない。

覚悟を決められる人間になりてえな。お前3000字近く書いてそんな感想かよ、と言われそうな感想を菅野のニュースを見て思った。