「私待つわ」に対する不義理。
読売巨人軍に疑念あり、と言いたい。
先日も内海哲也の人的補償を受けて巨人に義理はないのかという記事を上げたが、その後1月7日に広島から加入した丸佳浩の人的補償として長野久義が移籍することが発表された。
僕がこの知らせを知ったのは友人からのLINEだった。最初はソースが東スポと聞いて飛ばしだろうと思っていたが内海をプロテクトから外していた以上ありえなくはないとも思った。そして、正式に広島が獲得を発表したのである。
この件について、広島もそして選手としての権利を行使した丸も責められるべきではない。(FAと人的補償のテーマは次回詳しく取り上げます。多分。)
ただ巨人は深く断罪されるべきである。
よく、人的補償に対して「29番目に必要とされた選手だから評価されている」というコメントがある。
確かに一理ある。だが、それは若手選手の場合だ。若手選手ならば来季を見据えた現有戦力との兼ね合いで外れることもある。当然ファンもその辺の事情は分かっているので(納得するかどうかは置いておいて)理解はする。しかし、ベテラン選手となると話は全く変わってくる。それはシンプルな「戦力外通告」となるのだ。以前もソフトバンクホークスの松中信彦がプロテクトリストから外れた時ちょっとした騒ぎになった。当然である。長年チームに貢献してきた生え抜き選手がプロテクト外という事はすなわち「(獲られたら多少は困るけど)獲られても致し方ない。失ったとしても来年の戦力には大きな影響はない。」というメッセージでもあるからだ。
巨人はそれをやった。それも二回も。僕の周りにも野球ファンがいるが、内海、長野の事を悪く言う人すなわちアンチを見たことがない。そしてそれは巨人ファンも当てはまる。崩壊にあった巨人投手陣を「雑魚寝でもいい」と言って派閥も作らず後輩にも自らをいじらせた内海の事も、野村克也から「センスはあるけど頭空っぽ」と言われながらも毎年100安打を達成するなど安定した成績を残す上に時には外国人選手との潤滑油になっていた長野の事も本気で悪く言う人はいないだろう。球場の「7」と「26」が受ける応援の大きさがそれを象徴している。
内海、長野の共通点として内海は一度、長野は二度もドラフトの指名を拒否している。野球選手にとって10代後半、20代前半の伸び盛りの時期にプロでやらないと言うのは本当に辛かったはずだ。しかし彼らは待ったのである。いつまでも待ったのである。
そこまで巨人に恋い焦がれ、そして本来はやりたくないとも言っていた選手会長もやり、2010年代前半の巨人の黄金期を支えた2人に対して巨人は「構想外」と言う形で応えたのである。
よくMLBではこれくらいの移籍はあると言うがむしろMLBでは彼らのようなフランチャイズプレーヤーはレジェンドとして丁重に扱う。補強のイメージが強いヤンキースも、背番号一桁は全て永久欠番となっている。つまり、MLBでもこう言った移籍はごく僅かなのだ。
これを不義理と言わずしてなんと言おうか。
最近の巨人はおかしい。去年も村田を構想外にし、そして20年巨人を支え続けた男の背番号「24」は生え抜きの若手や後継者に渡すこともせず簡単に外国人投手に渡してしまう。
確かに合理的といえば合理的なのかもしれないがファンの心理はそんな簡単に割り切れるものではない。
僕はアマチュア野球とプロ野球の最大の違いはエンターテイメント性があるかないかだと思っている。アマチュア野球にはエンターテイメント性はない。ガチンコの世界である。だから松井秀喜の5打席連続敬遠に怒るファンは責められるべきだ。しかしプロ野球で仮に5打席連続敬遠が起きればファンは怒っていい。「プロ」である以上、「興行」である以上ファンが楽しめなければ不満の声を上げるのは当然のことだからだ。
例えばイチロー対松坂は松坂の連続奪三振ばかりがクローズアップされるが、あれが名場面となり得たのはイチローもフルスイングで応えたからだろう。そしてイチローは松坂から通算100号ホームランを打っている。
ファンはこういうストーリーも込みでプロ野球を楽しむのだ。
ところが今の巨人はそういったストーリー性すら無視をして、2クールある人気連続ドラマを1.5クールでいきなり打ち切るような、そんな雰囲気すら感じる。
巨人がどこを目指しているのかは分からないが、恐らく今のままではファンは離れていくだろう。
そして、それが原因で離れたファンは日本一になったくらいでは戻ってこない。
果たして巨人はこの方針でいいのだろうか。
今シーズン、巨人の答えを見せてもらいたい。