charles262510’s blog

主に野球。時々SMAP及びTEAM SHACHI。ごく稀にその他の事。

新潟県高野連騒動は何をもたらしたのか

オープン戦も佳境を迎え、センバツの組み合わせも決まり、高校野球の練習試合も解禁された。我々野球ファンにとっては待ちに待った野球シーズンの開幕である。

 

どの野球ファンにとってもこの時期は平等に楽しい時期である。高校野球ファンにとっては厳しい冬を乗り越えて選手たちがどう成長したのかを見られるーこの時期の球児はひと冬で本当に化けるーし、大学野球も間もなく始まるリーグ戦に向けて準備を整えている。そしてプロ野球もこの時期はオープン戦の結果を受けて妄想…もとい皮算用をしていく。こんなに楽しい事はない。

 

そんな中野球へのモチベーションが高まる時期にでひとつ気になるニュースが飛び込んできた。

かねてより話題となっていた新潟県高野連の球数制限の問題が決着をみたのである。

 

 

この記事にある通り保守的傾向にある高野連において画期的な球数制限という制度を導入しようとしたとした新潟県高野連が導入を撤回した。

 

事は2018年12月22日に新潟県高野連が2019年の「春季県大会限定」で投手の球数を100球までとする球数制限を導入すると発表したことに始まる。

 

この発表は高校野球界に激震をもたらした。世論の声はこれを支持する方が多かったと思う。だが現場レベルになると話が変わってくるようである。

毎日新聞の調査によれば今春のセンバツに出場する高校の指導者32名のうち7割5分に及ぶ24校が反対しているそうだ。

反対派の主な理由としては

・待ち球作戦が蔓延る可能性が高い

・交代により試合が間延びしてしまい、逆に選手の負担が増える

などという理由が挙げられている。

そのほか僕がネットなどで確認した反対派の声としては投手の枚数が少ない公立校が特に不利になり、高校野球がさらに私立偏重になってしまうというものや、試合の球数なんてたかが知れているんだからそれよりも練習の投げ込みをどうにかした方が良いというものもあった。

 

だが、ー僭越ながらーいずれの指摘も僕にとっては的外れにしか思えないものであった。

まず、「待ち球作戦が蔓延る可能性」という点についてだが、例えばWBCを考えてみれば分かるのだがあの大会で露骨な待ち球作戦をしていた国はあっただろうか?これに関しては先に挙げたアンケートで賛成に回った八戸学院光星の仲居監督の指摘が非常に最もだと思うのでここに挙げておく。

"U18(18歳以下)高校日本代表ヘッドコーチの八戸学院光星・仲井宗基監督(48)は国際大会に臨む上でも球数制限はマイナスと捉える。「海外の投手はストライク先行で来るので積極的に振らないといけない。待球作戦は日本の野球のレベルの低下につながる」と断言する。"

そう、これが国際レベルの話なのだ。今、日本野球も侍ジャパン常設化や年代ごとの侍ジャパンを選ぶなど国際大会で勝ちに行こうとしている。もし、本当に勝つ気があれば、待ち球なんて事は言ってられないのではないか。

2つ目の試合が間延びし〜という指摘に関してはハッキリ言って見当違いではないかと思う。実際に高校野球をやったことがある人なら分かると思うが、そこらへんに関して高校野球は本当にうるさい。チェンジのたびに守備側のベンチにやってきてはさぁ行こう!などと声をかけてくる。そして監督コーチもキビキビ動くように指示をする。つまり、高校野球に関してはーこれがプロに行くと途端に間延びするなんでやろなぁー交代の時間によって生じる間延びを最小限にしようと努めているのだ。この指摘をしたのは元プロの監督だったので恐らくプロの感覚が抜けていなかったのではなかろうか。

3つ目の私立偏重になるという指摘だが、ーこれこそ反対派の大きな誤解だと僕は思っているー新潟県高野連の発表を思い出して欲しい。彼らはあくまでも「春季県大会限定」で球数制限を導入すると言ったのである。高校野球にすこし詳しい人なら分かると思うが、春季大会は例えば新潟県大会で優勝したら甲信越大会に進めるのだがそれ止まりである。言い換えると春季大会にどんなに頑張っても甲子園という舞台には行けないのだ。

だからこそ新潟県高野連は「春季大会限定」としたのだろう。つまり「お前らどうせ夏の大会で連投させるんやろ?なら一番影響の少ない春の大会くらいは選手守れや」こういう思惑があったのではなかろうか。

もう一つつけ加えるならば、これはあくまでも「新潟県高野連」の話であり、全国的な話ではない。この問題で日本高野連新潟県高野連に再考を求めたというニュースもあったが、これは地方自治体の決定に国家が介入してひっくり返そうとするような気味の悪さがある。あくまでも新潟県高野連の決定は新潟県高野連所属の高校のみの議論をするべきだ。他の県、ましてや日本高野連がそこに介入する余地はないと考える。

4つ目のそれよりも投げ込みをどうにかした方が良いという話であるが、国際的にも度々(悪い意味で)話題になってしまう高校野球の球数問題がコッソリ隠れてやれば幾らでも出来てしまいそうな投げ込み制限をしたところで解決されるだろうか。

それよりもまずは球数制限の意識を机上の空論レベルではなく植え付けていくことが大切なのではないだろうか。

ここまで考えると、新潟県高野連の対応というのが至極真っ当なものに感じないだろうか。僕はこのニュースを見たときに少しずつ良い方向に向かって行けば良いなぁと思った。

例えば2006年斎藤佑樹(現日本ハム)が夏の甲子園大会で投げた球数は948球、2013年安樂智大(現楽天)が1試合で232球、大会通算で772球を投げた。昨年の甲子園、金足旋風の主役吉田輝星(現日本ハム)が投げた球数は881球である。わずか2〜3週間の間にこれだけの球数を投げるというのはやはりどう考えても体への負担が大きいに決まっている。とはいえ、もはやショービジネスになってしまっているセンバツ夏の甲子園で球数制限の実施は現実的ではないならば春季大会くらいは規制したってバチは当たらないだろう。そう思っていた。

新潟県高野連は球数制限を撤回してしまった。結局はいつも通りの高校野球になる。こうなってはいけない。

勝ち負けはたしかに大切だ。しかし、発達途上の選手達の身体を大人が守らなくて誰が守るのだろうか。今回の新潟県高野連騒動は改めてそんな道徳チックな話をそして、未だ高校野球界はそれすら考えていないということも浮き彫りにしてくれた。