charles262510’s blog

主に野球。時々SMAP及びTEAM SHACHI。ごく稀にその他の事。

夏の高校野球中止で僕が考えたこと、伝えたいこと。

変わらないこと

 少し昔話ー僕にとってはもうこれが「昔話」となるのが軽い驚きなのだけれどーをしようと思う。僕の高校時代の話だ。

 僕が高校生だった2011年から2014年というのは丁度ガラケーからスマホへの移行期ともいうべき時でまだTwitterよりもmixiとかモバゲーとかが覇権を握っていたし、LINEだってまだキャリアメールにとって変わるか変わらないかくらいの時期だったー余談だけどYUIの「CHE.R.RY」なんてガラケー世代のピンポイントにしか通じない曲ですよね。あの曲の気持ちが分からない今の子たちはある種かわいそうではあるなと思います(老害)ー。

 ガラケー時代の感覚なんて今の高校生に説明したところで伝わらないのだろう。丁度僕が携帯なしで待ち合わせをしていた感覚にピンと来ないのと同じように。でも、例えば思春期を迎えて初めての恋をした時の気持ちーその結果がどうであれーだったり、クラスで一致団結をして何かをしたー文化祭や球技大会なんかがいい例だと思うー後の充実感だったり、部活だったり。これらの感じ方は、程度の軽重はあっても世代を超えて普遍的なものなんじゃないかと思っている。

 今あげた例は高校時代を通り過ぎてきた僕にとってもすごく大切な思い出として残っているが、高校時代を振り返って一番思い出に残っていることはなんだと問われたらそれは部活だった。

黒歴史のち思い出

 1打数0安打。これが僕の恐らく東京都の高野連に残されている唯一の公式記録である。この1打数も代打での出場だったから出場時間に換算すれば正味1分程度が僕の高校野球人生だったーしかも都大会1回戦敗退の弱小校でこれであるーといっても過言ではないだろう。そして、まぁ僕の友人なら恐らく誰でも知っていることだけど、僕は当時ーというか今もー野球部の同期にも先輩にも後輩にもうまく馴染めなかった。だから、いわゆる部活を引退した後の繋がりはないに等しい。厳密に言えば引退後、大学に進学してから一回飲み会と顧問の退任パーティーには参加した。でもやっぱり馴染めなかった。 

 ここまで読んだ人は「これでこいつなんで真っ先に部活を思い出すんだ」と思うかもしれない。確かにこの3年間”だけ”に区切ってみれば僕の部活なんて正直やらない方がよかったのかもしれない。サードコーチャーボックスから自分のチームが最期を迎えた瞬間ーゲッツーだったーは、生涯忘れることは無いでしょうと思うくらいに脳裏に焼き付いている。

 でも、”その後”に起こったことが僕の考えを改めさせた。例えば引退後、文化祭に僕の母が来た時に顧問と会って少し話をしたらしい。その時に顧問が僕の母に「彼ーつまり僕のことだーなら、社会に出ても上手くやっていけるでしょう」という旨のことを言ったらしい。もちろん社交辞令の要素は多分に含まれていることだろう。でも、その顧問が僕の母に言ってくれた言葉は最後まで部活に馴染めていないと感じていた僕にとってはある意味で最高の褒め言葉となったしその後僕が人間関係に悩んだり進路や今後の人生を考える際にこの言葉を思い出すくらいには大切な宝物となった。

 それだけではない。浪人後に入学した明治大学では僕は当初、一旦野球から距離をおこうと思っていた。正直もうプレイヤーとして才能が開花する見込みは限りなく低いと思っていたーそういえば顧問に大学合格の報告をした時血相を変えて「野球部に入るのだけはやめておけよ」と言われた。失礼な話である(ぷんぷん)ーし、純粋に野球以外の世界も興味があったからだ。でも、縁があって六大学野球を盛り上げる団体の立ち上げに関わったり、そこの長として後にプロにいくような選手から直接話を聞く機会を得たりした。他にも野球が好きという点が一致し、よく一緒に野球を見にいくようになった友人もできたし、僕が野球好きということを知って好意でチケットをくれる人まで現れた。気付いたら野球がメインのブログもYouTubeも始めていた。

 一度は野球から離れようとしたが、そうしたらなぜか野球の方から僕に歩み寄ってきてくれたような不思議な感覚が僕にはある。でも多分それは高校まで野球をやってきたことが大きな要因なんだと思う。

 

 よく、人が何かをする時はその人に対する「信用」が一番大事だと言われる。信用がなければその人が何をやったところでついていかないし、何を言っても聞き入れられない。丁度、恣意的な運用をしまくっていた人が恣意的な人事をしないと言ったところで多くの人から信用されないのと同じように。

 その点において、僕が高校まで野球をやっていたという事実は割りに人からーこと野球に関してー信用を買うのに大きな役割を果たしていると思う。高校時代は野球部に所属していたという事実が、ー実態はどうであれー「あぁ、この人はしんどいイメージがある高校野球を3年もやるくらいには野球が好きなんだな」と思わせるのだ。言い換えるならば高校野球をやっているという事実が野球好きという事実を担保すると言ったところだろうか。

 まさか自分が高校野球を引退したときはこういう経験や思いができるなんてまるで考えてもいなかった。でも、繰り返しになるがこういう風になったのも高校野球をやっていたからこそなのだ。高校野球をやらないで今の友人関係や今までしてきた経験ができたかどうかというのは非常に怪しいと思う。つまり、今の僕を基礎付けているのは紛れもなく高校野球なのだ。

 だからこそ僕も高校時代一番思い出に残っているのは高校野球だと思えるのだ。思い出は後から形作られることもある。

 

夏の高校野球中止に思うこと

 さて、僕がこうも長々と自分語りをしたのはちゃんと理由がある。今日、2020年05月20日夏の高校野球の中止が発表された。僕は最初にも書いたが部活で感じることは普遍的だと思っているから、球児たちの気持ちが多少なりとも想像や共感をすることが出来る。

 もちろんコロナウイルスは仕方ないと割り切れる球児もいるだろう。しかし、中には自分が三年間をかけて費やしてきたことが突然終わりを迎えたことでなんのための高校野球だったのだろうと思う人もいるかもしれない。自分の高校野球は無駄だったんじゃないかと思う人もいるだろう。

 だけどこれだけは、はっきり言える。野球が上手かろうと下手だろうと3年間費やした時間は決して無駄なんかじゃない。むしろ、歳を重ねる毎にやっていて良かったなと思えるようになってくる。1打数0安打で高校野球を終えて野球から距離をおこうと思った人間が野球を通じてまた色々な経験ができて高校野球が一番の思い出と言えるようになったように

 もちろん、ここから先野球以上にもっとのめり込める”何か”を見つける人もいると思う。それも素晴らしい事だ。言ってしまえば”たかが”野球である。野球だけが世界の全てなわけではない。それでも、3年間ー高校生でいえば人生の約1/6であるー野球に時間を費やした。これは紛れもない客観的事実である。その事実は今後君たちの中で自信に変わっていき、そしてその自信はまた新たに何かをしようとする時のエンジンとなって君たちを見た事もないような世界へと連れて行ってくれるだろう。

 

終わりに

 僕にも18歳だった事があるから分かるのだがここから先、世界はもっともっと広がっていく。18歳の頃には想像も出来なかったくらいの楽しいことやいいことも経験できるし、反対に想像も出来ないくらい落ち込むこともあるー僕自身数ヶ月前にまさに落ち込みのどん底に落ちていたわけであるがそれはある程度落ち着いたらまたブログに書こうと思うー。でも、意外とそういう時ー特に落ち込んだ時ーに支えになってくれるのは3年間高校野球をやってきたということであった。

 僕自身がそういう経験をしたので、今回の事で高校野球をやってきた自分まで否定して欲しくない。そんな思いで今回はブログを書きました。